会社紹介・会社概要


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会社概要

商号 株式会社クドー
代表者名 代表取締役 工藤大受
所在地 〒167-0022 東京都杉並区下井草5-11-28
電話 03-3395-3287
FAX 03-3301-2471
e-mail request@kudoh.tv
資本金 1,000万円
主要取引銀行 東京三菱UFJ銀行 荻窪支店

会社沿革

昭和37年4月 有限会社工藤商店として会社成立(東京都大田区上池台にて)創業者 工藤啓次郎
昭和45年 事業所を東京都杉並区上井草に移転
昭和59年 事業所を東京都杉並区下井草に移転
昭和59年10月 商号を株式会社クドーに変更、資本金を1000万円に増資
平成5年 工藤省造に代表取締役社長に交代-二代目-
平成11年 コサージュ取扱い開始
平成26年9月 工藤大受が代表取締役社長に-三代目-

創業物語創業者 工藤啓次郎の手記より抜粋

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我が家は、元々教材屋ではなかった。父は、大阪で機械工具商の丁稚奉公に入った。やがて頭角を表し、主人病没を機に小さいながら製材機を扱う自前の店を開いた。
やがて根っからの大阪商人に叩き込まれた父は販路を拡張して日本三大製材地帯のひとつである高知に支店を開設し私が支店長としてその責を負うことになった。しかし本店の経営がおもわしくなくなり父から店をたたむ話を切り出された。

そして昭和30年、父の許しを得て一先ず単身上京する途上、大阪時代の親友である薗田勝視君の家を訪ねると彼の父から「今、倅は学校教材の販売をしている工藤君もやってみてはどうか。教材はなあ一人に納得して貰ったら何百・何十と商いになる。取りはぐれもない。在庫もいらん。それに教育に貢献出来るやり甲斐のある仕事だ。東京は凄い人口ではないか、こんな有難いことは滅多に他にない。それをやったらどうか」と懇々と話してくれた。有難いことだ。本当にそうだ。しかし問題は資金である・・・

そして身の振る舞いに行き詰った。手持ちの金は一万円位しかない。人々が嬉々として明るく街を闊歩している姿が恨めしかった。そんな時に思い出したのが六車伊九郎氏であった。彼は昔、大阪時代の町会副会長で会長である父とは当然のように繁く家に出入りして私も印象深い人である。なんでも銀座でレース地の店を開いていると位は薄々と記憶にあった。やっとの思いで店を探し当て、色々とお世話になった。

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六車氏の店でお世話になったり山谷という俗にいうドヤ街で一人住まいをしながら新聞配達をしたり、小銭を貯めたお金で何とか大田区上池上の小さな家に住むことが出来た。相変わらず貧苦からは逃れられなく爪に火をともす生活であった。この頃二階を近くの学校の先生のご夫妻に又貸しした。でもこの暮らしでは仕方なく、子供達が可哀想であった。そうこうしながら薗田のおやじさんが云ってくれた学校相手の仕事がよいと言われたことが甦ってきた。そんな或る日、散歩していたらローケツ染めに凝っている奥さんにあった。ローケツの楽しさをいっぱい話してくれた。伺えば中学校の家庭科の先生だと云う。「これを生徒達に教えたいのですが火災予防上学校では出来ません」と云う。当時は殆どが木造校舎である。「火さえ使わなければいいのですか?」と答えたら「火を使わないでどうして染色につければいいのですか」と呆れてさげすみ笑いを浴びせられた。これが私の今日があるかないかの発端です。常識として無理な話であることは当然すぎる程、当然であった。それでも火を使わぬローケツ染めをやってやると力んだその日から神田の薬問屋に通ってイロハから染色知識を獲得に挑んだ。どこでも首を傾げられたが流石は薬問屋である、これはどうかあれはどうかと話してくれた。あれこれと試薬を持ち帰って毎日毎日苦戦を続けた、それは阿保を絵に画いた様な格好である。初めてより丁度15日目に火に代わる色止め剤らしいものが出来上がった。飛び上がった、大丈夫かな。その後も試行錯誤を重ね、商品が完成した。時代のトップだと云うことで「水洗式トップ染め」と命名した。これが契機になり有限会社工藤商店を開いた。その後、工藤商店の名が広まった。朝日新聞の記者まで来訪されインタビューに応じた当然全国版であったので思いがけぬ故郷の徳島からも電話が掛かってきたりした。

今日の出来事も明日の歴史でもある。すなわちそれぞれの時代は前の時代の継承であり同時に次の時代の芽を宿している。いつも新旧混在である。そんな種から芽生えしそして成長から充実から成熟への軌道を無理なく大きな無駄なく前進したいものである。脈打つ心に燃えて明日の飛躍的ハイジャンプを願いたい!!